千川堤植桜楓碑
せんかわづつみおうふうをううるのひ


千川堤植桜楓碑1【所在地】練馬区小竹町1-59-2江古田浅間神社境内
【建碑年】1915(大正4)年

 西武池袋線江古田駅を北に降りてすぐ、浅間神社の境内の手前の隅に、ひっそりと立っています。荒れ果てていた千川上水を、付近の住民が整備し、堤に桜や楓を植えたその記念に建てられた石碑です。
 碑文によれば、この事業は篤志が集まって計画を立て、村会で議決して東京府知事の許可を得たとのこと。碑文の起草や清書を名高い文人や書家には頼まず、当時の北豊島郡長の大野徳太郎が筆を執ったというのも、そういう自発性の反映であるように思われます。末尾の詩では、玉川上水に張り合う名勝としたい、ともあって、地元の思いがよく現れています。
 その千川上水も、現在は暗渠となって、地上を千川通りが走っています。この石碑は、もともとは江古田駅の南側、千川通り沿いにあったものを、区画整理の際に移動したそうです。千川通りには今でも春になると桜が美しく咲き誇りますが、この石碑には案内板もなにもなし。ちょっとさみしい気がします。

    【原文】
   千川堤植桜楓碑
千川上水之始在元禄九年起新座郡保谷至豊島郡巣鴨凡六里亘湯島上野浅草宝永四年上水
両岸植樹且許灌漑享保七年有故止上水爾来沿革殆廃慶応元年築反射炉於滝野川也命用此
水至明治三年又廃焉及後沿岸村落戸口繁殖人文発達慨堤塘之荒蕪水路之淟涊望其改修者
多大正三年下練馬村篤志者与衆謀建修水行伐荊棘植桜楓之議欲以為祝
今上践祚大礼之記念也村長納之稟郡長知照中新井長崎上板橋諸村長各村皆経村会決議四
村聯合得府知事之允可有志者亦捐貲援労拮据数月今茲三月功成新植桜楓実千数百株経村
落過田圃蜿蜒亘一里二十余町頃者武蔵野鉄道沿流開通此地慶福亦将加多也銘曰
千川上水昔汪洋 北及忍岡南聖堂 後停上水灌新秧 幾年豊稔歌穣穣 物換世遷榛莽荒
時到栽桜皆賛襄 暖雪香雲漲野塘 擬凌玉川雄一方 千樹紅於秋待霜 錦繡堤外稲雲黄
化被草木葛民康 合同民力祝大嘗 此挙此功弗可忘 春秋長作後人慶
  大正四年十一月建    東京府北豊島郡長正七位勲六等大野徳太郎撰幷書
    千川堤植桜楓碑2
 千川上水の始まりは元禄九年に在り。新座郡にいざぐん保谷ほうやに起こり豊島郡巣鴨に至る凡およそ六里、湯島・上野・浅草に亘わたる。宝永四年、上水の両岸に樹を植え、且つ灌漑かんがいを許す。享保七年、故ゆえ有りて上水を止とどむ。爾来、沿革殆ほとんど廃す。
 千川上水の開通は元禄9(1696)年のことである。新座郡保谷(東京都西東京市)から豊島郡巣鴨(豊島区巣鴨)に至るまで、全長6里(約24km)、湯島・上野・浅草にまで通じている。宝永4(1707)年には、上水の両岸に樹木を植えて、同時に田畑に水を引くことも許された。享保7年(1722)、事情があって、上水道としての利用は中止された。それ以来、ほとんど使われないままであった。
   
 慶応元年、反射炉を滝野川に築くや、命じて此の水を用う。明治三年に至り又廃せり。後に沿岸の村落、戸口ここう繁殖し人文発達するに及び、堤塘ていとうの荒蕪こうぶ、水路の淟涊てんでんを慨なげき、其の改修を望む者多し。
 慶応元(1865)年、反射炉(大砲鋳造のための溶鉱炉)が滝野川に築かれると、千川上水の水を使うように命令があった。しかし、明治3(1870)年になるとまた中止となった。その後、沿岸の村々の家数が増え開けてくるにつれて、上水の堤が荒れはて、水路が汚れてしまっているのを嘆き、改修を望む声が多くなった。
   
 大正三年、下練馬村の篤志なる者、衆と謀りて、水行を修め荊棘けいきょくを伐きり桜・楓を植うるの議を建つ。以て今上きんじょうの践祚せんその大礼を祝うの記念と為さんと欲するなり。村長、之これを納め、郡長に稟もうし、中新井・長崎・上板橋の諸村長に知照す。各村、皆、村会の決議を経へ、四村聯合れんごうして府知事の允可いんかを得う。
 大正3(1914)年、下練馬村の篤志の者がみんなで相談して、水がきちんと流れるように整備し、雑草を刈り取って桜と楓を植えようという案を立てた。天皇陛下の即位の大礼を祝う記念としたいと考えたのである。下練馬村の村長はこの案を認め、北豊島郡長に申し上げ、中新井・長崎・上板橋の村長にも申し入れた。それぞれの村では村会の決議を経て、4つの村が連合して、東京府知事の許可を得ることができた。
   
 有志の者、亦また貲しを捐すて労を援たすけ、拮据きっきょすること数月、今茲こんじの三月、功成る。新たに桜・楓を植うること実に千数百株。村落を経、田圃でんぽを過よぎること蜿蜒えんえん一里二十余町に亘わたる。頃者このごろ、武蔵野鉄道、流れに沿いて開通し、此の地の慶福、亦た将まさに多きを加えんとするなり。
 有志の者たちもまた、費用を寄付して工事を援助し、数か月間の苦労の末、今年の3月、完成の運びとなった。新しく植えた桜と楓は、実に千数百株。村々をめぐり、たんぼの間を抜けて、1里20町(約6.2km)余りもえんえんと続く。近ごろになって武蔵野鉄道が流れに沿って開通し、この地域はより一層、暮らしやすくなってきている。
   
 銘に曰わく、
  千川上水、昔、汪洋おうようたり
  北は忍しのぶが岡に及び、南は聖堂
  後、上水を停とどむるも新秧しんおうに灌そそぎ
  幾年の豊稔ほうねん、穣穣じょうじょうを歌う
  物換かわり世遷うつりて、榛莽しんもう荒れたるも
  時到りて桜を栽うえ、皆、賛して襄たすく
  暖雪だんせつ香雲こううん、野塘やとうに漲みなぎり
  玉川を凌しのぎ一方に雄たらんと擬す
  千樹 紅にして、秋に霜を待ち
  錦繡きんしゅうの堤外ていがい、稲雲とううん黄なり
  化して草木を被おおい、葛民かつみん康らかに
  民力を合同して大嘗だいじょうを祝う
  此の挙、此の功、忘るべからず
  春秋、長く後人の慶びと作なさん
 末尾に添える詩
  千川上水は、昔はゆったりと
  北は忍が岡、南は湯島聖堂へと流れていた
  後に上水道は廃止されたが、苗が出たばかりの田畑を潤し
  何年もの豊作に、人々は豊かな実りを謳歌したものだった
  世の中は移り変わって、草木が茂り荒れてしまったが
  今このときになって、桜を植えようとみなが心を合わせた
  雪や雲のような花が、堤防いっぱいに暖かく匂いやかに広がり
  玉川上水と張り合って、一方の雄となろうというのだ
  秋には無数の樹々が紅に染まって霜を待ち
  錦織りのような堤の向こうには、黄色い稲穂が雲のように揺れる
  陛下の徳は草木にまで及び、下々の者も安らかだから
  民の力を合わせて大嘗祭(即位の儀式)をお祝いしよう
  今回の計画とその成果を忘れてはいけない
  季節がめぐっても、長く後世の人々の喜びとなるように


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